静岡山岳会
Shizuoka Alpine Club

写真館

月例

山行

定例会

山岳会概要

十枚山、十枚小屋へ荷揚げ(市岳連の事業に参加) 

平成29年3月27日 小田、安陪、田村、根本、赤石、松永(市岳連会長)

はれ、時々曇り.一時小雪
中ノ段から小屋の修理に使うガルバリウム鋼板や木材を背負って登った。ザックに荷物をくくりつけて歩いたがバランスが悪かった。
前日の降雪で小屋近くでのラッセルは小田さんの膝くらいまで、50センチほどだった。登り3時間程かかった。荷揚げの後で山頂へ登ろうと考えていたが小屋から上は積雪が多いようなのでやめて下山した。(赤石記)


京丸山(1469m)

平成29年2月27日 京丸山(1469m) メンバー 赤石 他1名

浜松市春野町石切集落から登って往復した。この山は上部にまで林道がついている。
林道の下部から上部へのショートカットの登山道が標高差350m程と、上部の林道から分かれて山頂までが標高差約400mが登山道だった。
全体の標高差は約1000mなので林道を登った標高差は250mだった。だが林道の標高差250mを稼ぐのはかなりの歩きだった。
帰りは途中にある旧藤原家を通ってきたので林道を上から下まで全部歩いた。このため林道を歩いたのは全行程の6~7割だったような気がした。ただ登山道はかなりの急登だった。やや曇りの空で山頂では少しみぞれが降ったりしたが、9時に歩き始め山頂には午後1時、下山は5時で一回り約8時間の行程だった。登山者には会わず静かな山だった。


平湯峠をベースにして、輝山、大崩山へスキー登山

平成29年2月4日~5日  メンバー 小田、根田、小野田、高本、根本、赤石

4日 前夜、道の駅「風穴」に泊まった。
これら二つの山は平湯峠を挟んで北側と南側にある。今回は高本の山スキーデビューの山行である。この日は晴れて風もなくいい天気だった。冬期は通行止めになっている平湯峠への分岐点に駐車した。根田はショートスキー、根本はスノーシューで参加した。
7時半、シール登行を始めた。道路はくるぶしが沈むほどの新雪だった。3時間強の登りで平湯峠に着き、テントを張ってから輝山を目指す。樹林の中を標高2000mほどまで約2時間半登ったが帰りの滑りを勘案して山頂までは登らなかった。降りは2時間50分ほどかかった。夕日が沈む頃にテントに戻った。
5日 前夜まで晴れていたが、予報の通り朝は曇ってきた。
7時半に歩き始めて南にある大崩山に向かって樹林の中を登り始めた。
次第に天気が崩れて雪が降ってきた。1815mの地点まで約1時間半登ってこの日の登高は終わりにした。帰りは道路に降りて滑って帰った。平湯峠のテントを撤収して道路を1時間強滑って駐車場に10時半に着いた。
今回の山行では登りのシール登高、下りの滑りも結構苦労したが我々だけの山になって愉快な思い出に残る山行になりそうだ。(赤石)

今年スキー登山を始めた高本さんのデビュー山行である。登頂は二の次で、スキーでの歩きと山での滑りを経験してもらう目的で入山した。
滑りの練習は、ゲレンデでできるが、登りは山でやるしかない。体力抜群の高本さんでも、やはり大変そうであった。
翌日は天気予報通り、雪となる。1時間ほど偵察で登って帰幕する。(小田)

高本君の山スキーテビューにかっこつけて、ショートスキーでの歩きと読図を目的に小田さんの計画に参加をした。
歩きはじめから、私のショートスキーのビンデングがフイットせず、みなさんに迷惑をかけてしまいました。山は深雪でもっぱら歩行訓練でスカイライン道により現在位置の確認できました。輝山大崩山はいけなかったもの、メンバーがつけたトレースを追うのに一杯でしたが楽しかったです。やはり読図は自分でつけたトレースにより判断しなければ覚えることができないということを感じ、3月の月例にそなえたいと思います。ちなみに山行後やっとビーコンを買いました。
高かった。(根田)

初めてスキーで山を登った。
スキーは下る道具だとずっと思っていたが、やってみると登れるものだと、思った。それでも、悪戦苦闘した。登りはまだしも、下りの技術が全く成ってない。ゲレンデとは全くもって環境が違う。深く潜るスキー板を一体どうやって操作し、樹林を避けて滑り、そして止まればいいのかパニックになった。
今回は自分自身の山スキーデビューということで企画された山行でした。皆さんに励まされ、待って頂き、お世話になりっぱなしの山行でした。本当にありがとうございました。颯爽と滑って下れれば、山スキーは本当に楽しいと思います。今後、スキー技術の習得に努めます。(高本)

広い所を登るのは楽しかったが木の間などは苦労した。足が弱い為、下りも大変だった。快適そうな斜面も快適に滑れず残念。
山スキーデビューの高本さんは転んで難しい格好になっても、体の柔らかさと筋力で短時間で起き上がれる体勢に戻っていたので感心した。深雪で転ぶと自力でなかなか起き上がれない私とは大違いだ。私は後ろから来てくれた根本さんに何度も起こしてもらい、本当に助かった。(小野田)

スノーシューで参加。久しぶりに数時間歩く山行だったので、いい運動になった。(根本)


輝山から笠ヶ岳方面

大崩山 引き返し

城山ボルダー

平成29年02月03日 伊豆・城山 メンバー 熊谷

フリークライミングで有名な伊豆・城山のボルダー岩のルートです。
峠の駐車場から徒歩1分ほどの場所にあり、林道からもはっきりと見えるのでご存知の方も多いと思います。

今年に入ってから時間を見つけていくつか登り込み、まとまってきたのでご紹介します。

1. 6級 左側のカンテを登る(表記無し)
2. 3級 フレークとカンテ側に手を回してスタート。上部でカンテに抜ける
3. 初段 ポケットスタート まっすぐ頂点を抜ける。上部が難しい。
4. 1級 ポケットスタート 上部のガバを直接ランジで取る。スタティックに登って2級
5. 3級 ポケットスタート 6に合流する
6. 5級 簡単。
7. 7級 右側のカンテを登る

これ以外にも、下部のトラバースやリップを右上等をとれます。

今年に入り、なかなか山に行けず身近な伊豆・城山にある峠のボルダーに時間を見つけてトライ。ネットでは明確なトポ図がないため、登れて面白そうなラインを選んで登ってきました。
この岩は峠の駐車場から徒歩1分のところにあり、岩場への林道からも目立つため分かり易い位置にあります。
岩の正面はハング状で高さもありますが、下地が良く、思い切って攻撃的なラインも引くことができました。
右側1級のランジ課題は、ガバが遠く、保持も甘く、なかなか難しいものです。左側初段の課題は、上部のホールドが甘く、また中指・薬指の第一関節がかろうじてかかるホールドのためかなり苦労しました。
いずれの課題も、グランドアップ・ノーマットスタイルで完登できました。グランドアップで攻略できたのは、個人的にかなり嬉しいです。

二十六夜山(310m)

平成29年1月29日 二十六夜山(310m) メンバー 赤石 他2名

カシミールで二十六夜山を検索すると2件ヒットする。一つは山梨県上野原市にあり、旧秋山村にあったので秋山の二十六夜山と呼ばれている。もう一つがこの南伊豆町にある二十六夜山だ。
標高は低い山だが、名前に惹かれていた。ハイキングコースはない。
かつては二十六夜待が行われたようだが、60歳台くらいの地元の男の人に聞いたがその記憶は無いし登ったこともないと言っていた。地図から登れそうな尾根を探して北東側の尾根から登り山頂から南西に延びている尾根を下って一周した。
山頂には三角点の標石とかつて祭祀が行われたような大きな岩をうがった跡や崩れた石積みがあった。
全山常緑広葉樹で、照葉樹林の山だった。所々に色あせた赤布があったが見通しがきかず地図と磁石が頼りで、巨大迷路に入ったようで面白い山登りだった。
登りはじめに猟に来た人に会った。一回り3時間強の行程だった。

山頂の三等三角点

山頂の岩が穿たれていた 祭壇の跡だろうか

真那板山スキー登山

平成29年1月26日 真那板山(1219m) 小田、田村、小野田、赤石

1月26日 前夜、小谷道の駅に泊まった。
この山は長野県小谷村にある山で大網集落から往復した。集落の中の雪をどかした広場に駐車して南東の方角に見える真那板山を目指す。
積雪は1メートルくらいで林道から樹林の中に入りくるぶしくらいのラッセルで登った。やや急な斜面はキックターンや踏み替えターンで登れた。風はなく快晴に近い好天気だった。目の前には雨飾山が大きく見え天狗原山、金山が望めた。西には白馬岳から北へ白く輝いている山々が連なって見える。
山頂は絶好の展望台だった。登りが約4時間半、降りが約2時間の行程だった


読図山行

平成29年01月17日 大城~一服峠~井川峠北方1658mピーク
小田、赤石、飯嶋、小野田

新人の飯嶋さんの為の読図研修。実際の道は地図と異なる所もあった。
一服峠から積雪あり。途中富士山がよく見えた。
最後は井川峠への道から離れ、道のない急斜面を登った。落ち葉と雪で滑り易くアイゼンを着けた。急斜面を過ぎると広くなだらかな美しい林になり1658mのピーク辺りもとても良い雰囲気の所だった。

読図研修である。
道は所々地図と違っていて、地形も複雑なので、読図にはいいところである。一服峠から雪があった。途中、真っ白な上河内岳が山伏の陰から現れた。
最後は登山道からはずれて急斜面を直登し、井川峠北方の1658mピークに出た。ここへ来た人はほとんどいないだろう。景色の見えないのがちょっと残念だったが、静かな雪の山頂であった。(小田)

割と道がはっきりしていたので、地図で確認しながら登った。
最後は道のない所をアイゼンをつけて登った。読図にはいいルート。(赤石)



暗沢山(520m)

平成29年1月10日 メンバー 赤石 他1名

伊豆、松崎町にある山。
伊豆半島に一等三角点が達磨山、万三郎岳とこの山との3カ所にある。一等三角点の山だが地理院の地形図に山名が無い珍しい山だ。
山頂には「暗沢山」との山名板がある。点名は「岩科村」である。
山頂に至るのに大峠を通ってくるのだがここは「大峠」と地形図にある。このためか「大峠山」と書かれているガイドもある。
松崎町の重要文化財の旧岩科小学校から南に向かって登る。
山頂に巨大なNTTの電波塔が二基ある。草原の丸い山頂からは松崎町の街と青い駿河湾、雪の富士山、白い南アルプスの連山が望めた。小峠を回って下山する。登山者が少ないためか道は荒れていた。この道はかつての生活道であり隣村への往還道だったように思う。古道という雰囲気の道だった。
一回り4時間15分ほどだった。

寧比曽岳(ねびそ)(1130m)

平成28年12月25日 メンバー 赤石 他1名

愛知県豊田市足助町の山。
登山口の大多賀峠までへの林道で手間取ってしまった。道路が縦横といった感じについていてあちこちへと走ってしまった。初めての山に行くときは登山口を見つけるのに苦労することが多い。
ようやく見つけた登山口はしっかりした案内板が設置されていた。山は往復で2時間弱の行程だった。
葉の落ちた広葉樹と唐松、黒松の生えている尾根のなだらかな道で冬にはとてもよいハイキングコースだった。
午後から登り始めたので下山してくるハイカーに何組か出会った。山頂からは南アルプスの聖岳から北の山々が望めた。三河湾も海も輝いていた。


菰釣山(こもつるし)(1379m)

平成28年12月18日 メンバー 赤石 他1名

山梨県道志村の山 「道の駅どうし」から林道に入り落合橋で道は二手に分岐する。右は菰釣山へ、左は城ガ尾山への道だ。
菰釣山への林道を取りチェーンで通行を止めてあるところから歩き出し登山道の案内板から登山道に入る。
はじめ沢沿いに歩き尾根にとりつく。主稜線に出ると左に城ガ尾峠に続く道、右にとれば菰釣山への道になる。落葉の道を歩くと菰釣山避難小屋を過ぎて山頂に出る。
天気がよく富士山が大きく現れ山中湖の一部が見え、遠くには南アルプスが輝いていた。
菰釣山から尾根は道志村の入り口の山伏峠を通って向かいの御正体山へと続いている。日曜日なので登山者が多く登ってきた。一休みして峠まで戻り城ガ尾山(1160m)への道をとる。こちらのコースは歩く人はいなく静かな道だった。平らな尾根を歩き城ガ尾峠から下りて林道に出る。落合橋まで降りそこから駐車した登山口まで戻る。一回り6時間ほどだった

二十六夜山(972m)

平成28年11月27日  メンバー 赤石 他1名

二十六夜待 広辞苑に「陰暦の正月と七月の二十六日の夜半に月の出るのを待って拝すること。月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿を現すといい伝えられ,特に江戸では七月に高輪、品川などで盛んに行われた」とある。
この山は山梨県上野原市(旧秋山村)にある山。
山の名前に以前から惹かれていた。尾崎登山口から登った。
前々日に降った雪は県道にも積もっていた。道ばたの農家で登山口を訪ねたら、このあたりは雪の多いところだから山の上の方は50センチくらいは積もっているよと言われた。枯葉の上に雪が積もって踏み跡を消している。雑木林を過ぎて植林地を通ると尾根に出る。雪が少しずつ増えて山頂近くは30センチほどになった。平らになったところに二十六夜との石碑があり少し登ると山頂だ。南アルプスまでも望めるとあったがこの日は曇っていて周りの山は何も見えなかった。
下りは浜沢へ降りる道をとった。やや急で狭い尾根、湿った土の上の枯葉に薄く雪がかぶってて滑りやすい。慎重に下だり浜沢のアオゲラキャンプ場に降りた。
一回り4時間半ほどの行程だった。


二十六夜 山頂

日本に三カ所ある原三角点の標石を訪ねて

赤石秀之

原三角点は、三角測量草創期の明治10年代に内務省地理局が、関東、中部地方に約1000か所を選び、標石を設置したといわれており、後に測量事業を引き継いだ陸地測量部が、その測量地点に四角柱形の一等三角点の標石を埋設し、古い原三角点はことごとく撤去したという。
現存するのは雲取山と米山、白髪岩の3点のみという。
西上州の白髪岩で地元の登山家天野若尾氏により平成13年5月に3番目として発見された。(箱田孝光氏・新ハイキング誌)。
これら三つの原三角点に関心を持って今年の秋に白髪岩を訪ねてそれぞれの写真が揃った。


東京都 雲取山山頂(2018m)

新潟県 米山山頂(993m)

白髪岩(1512m)

白髪岩の原三角点

北海道の山々

9/23~30 神威岳(1600m)、余市岳(1488m)、狩場山(1520m)、渡島駒ヶ岳、大千軒岳(1072m)
メンバー 赤石 他1名

9月23日 午後2時前に苫小牧港でフェリーから下船して神威岳の登山口の浦川町へ向かう。
荻伏から日高山地に向かい元浦川林道で神威山荘のある登山口に6時前に着いた。
24日 神威岳 この日の登山者は千葉から来た夫婦の登山者と私たちの2パーティだった。
6時少し前に歩き出した。シュオマナイ川を遡る。登山路は右岸、左岸とあるので沢靴で徒渉しながら赤布やケルンに導かれる道を探した。水量は臑から下くらいだった。先月北海道を襲った台風の被害を心配したが�川は荒れていなかった。
3時間弱歩いて尾根道に取り付く。急な登りで笹、木の根、枝につかまって登る。この登りではストックは邪魔だった。尾根を2時間40分程ひたすら登って山頂に着いた。薄日が差したり霧に覆われたりして北に連なる日高の山々を十分には見られなかった。同じ道を下った。真下に降るような感じだった。尾根の降りは登りより早く降りたが、沢の歩きは朝とあまり変わらなかった。5時に登山口の神威山荘に降りた。約11時間の行程だった。
25日 余市岳 赤井川村のキロロリゾートのゴンドラに乗る。大きなスキー場だ。
上の駅から丸い広い上り下りのない尾根道を歩く。飛行場とも呼ばれているという広大な笹の原の山だ。スキー場から登ってくる登山道と合流してから余市岳への登りになる。ハイカーが大勢登ってきていた。急な滑りやすい道を1時間程登って一等三角点の山頂に出た。風が強かった。同じ道を帰った。4時間の行程だった。
26日 狩場山 千走川(ちはせがわ)に沿って舗装してある林道を上り登山口に着いた。
この山も急な登りと滑りやすい道だった。3時間程登り南狩場につくと狩場山が見えた。ここからは広い大きな尾根の道を歩く。高層湿原の親沼、小沼などがあり花の季節はすばらしいだろう。山頂には赤い小さい鳥居がある。ここも一等三角点の山で渡島半島の最高峰だ。同じ道を下った。6時間45分程の行程だった。
27日 渡島駒ヶ岳 火山の山で山頂から4キロの地点までは登山禁止になっている。剣が峰は鋭い特徴のある岩山で1131mだが標高850m程の馬の背までしか登れない。登山口から車の通れる様な広い道をまっすぐに1時間弱登るとロープで囲ってある馬の背の広場に着く。剣が峰の岩峰を遠望したり眼下の大沼を俯瞰できる。同じ道を石車にとられて転ばないように気をつけて下った。
28日 昨夜から雨が降ったので登山はやめて観光をした。夕方次に登る大千軒岳の林道を下見に行った。
29日 昨日下調べをしておいた林道を上っていくと通行止めになっていた。下に降りて林務事務所で聞いたら先月の台風で道が決壊したので修理中とのことだった。この林道からのコースは諦めて知内川からのロングコースに切り替えて登ることにしたが、この日は時間がないので翌日登ることにした。
知内川林道を上り終点の広場に泊まった。
30日 大千軒岳 知内川に沿って登るのだが水量が少ないので沢靴は履かなかった。登山道は右岸、左岸と飛び石伝いに徒渉を繰り返して上っている。広い河原、金山番所跡、千軒銀座、などの看板を過ぎて沢から尾根へと別れる。この山は江戸時代に金山だったようだが短い期間だった。だが鉱山が閉山するときに働いていたキリシタンが数十名処刑されたという悲しい歴史があり今でも毎年7月に番所跡でミサが行われているようだ。大きな十字架がある。
沢から離れて尾根を登る。ここも急な登りの狭い尾根道だった。休み台、ガンバレ岩、千軒平を過ぎると旧道と交わる。ここからは緩くなり笹を分けて山頂に達した。この山も一等三角点の山だ。やや曇っていて風が強かった。私たちだけの山で他には登って来なかった。下山して名簿を見たらこの9月に登ったのは19人でそのうち6割くらいは北海道以外の人のようだった。登山口はここしかないので随分地味な山だと思った。300名山に入っているのでそれを目指しての登山者かとも思った。もっともこの山は「花の百名山」になっているのでシーズンには多く登るかも知らない。


神威岳登山口の神威山荘(09/24)

神威岳 山頂(09/24)

余市岳 山頂(09/25)

狩場山 山頂(09/26)

駒ヶ岳遠望(09/24)

馬の背からの駒ヶ岳(09/27)

金山番所跡にある十字架(09/28)

大千軒岳 山頂 
「300名山」の内 299番目に登った山頂(09/28)

双六岳(2860m)、三俣蓮華岳(2841m)、黒部五郎岳(2840m)

8/24~26  メンバー 赤石 他1名

24日 新穂高の登山指導センターを9時前に歩き始めた。笠新道分岐、わさび平小屋を通り登山口の林道分岐から小池新道に入る。
8年前の冬山で雪崩遭難した桑原さん、塚田さんの霊に手を合わせてから登り始めた。
秩父沢、ちちぶ小沢を過ぎて登ってゆく。午前は晴れていたが次第に曇ってきて降り始めた。雨具を着てシシウド平、鏡池小屋を過ぎ弓折乗越で尾根に出る。双六小屋が見えてきた頃には雨がやんでいた。
4時半過ぎに着いてテントを張った。
25日 夜半には晴れて星空になっていた。
6時前にテントを出て双六岳に登り三俣蓮華岳に連なる尾根を歩く。澄んだ空の下、槍穂高の黒いシェルエット、裏銀座の稜線、鷲羽岳から水晶、赤牛への尾根、どっしりした薬師岳の彼方に剱、立山の連なりなど夏山の尾根歩きを満喫した。
三俣蓮華から黒部五郎小屋に降りて小屋前のテント場に張り12時前に黒部五郎岳に向かって歩き始めた。黒部五郎岳のカールを登ったが大きな山は近くに見えてもなかなか進まない。カールの上部の急斜面を登り切ると稜線に出る。尾根は下から見た時と違って緩やかな登りだった。2時半前に着いた。
山頂には小さな山名板と小さな石の像、三角点があるだけだった。
登ってきたカールを降ってテントに4時過ぎに着いた。
26日 テントを畳んで5時過ぎに出る。
三俣蓮華の急登を2時間10分ほどで登りあげた。山頂からは双六岳にかけての大きなカールの中の道を下る。気持ちよい道だった。双六平から鏡平小屋、小池新道を下って新穂高に4時頃に着いた。


穂高岳遠望

三俣蓮華岳山頂

穂高岳遠望

黒部五郎岳遠望

剱岳 6峰Dフェース富山大ルート

7/23~25 剣岳八ッ峰6峰Dフェース 富山大ルート  小田、赤石、根本、高本

7/23 室堂9:27~12:25別山乗越~13:30剱沢幕営地
7/24 BC4:00~8:00取り付き8:30~12:30 6峰上13:10~14:53池ノ谷乗越~16:30剣岳17:00~19:30 BC
7/25 発6:45~10:45雄山~12:35室堂

久しぶりにDフェースを登る。十数年ぶりである。
長次郎谷へ入ったあたりでは周囲に数パーティのクライマーらしき人達がいたが、皆、長次郎谷から剱を目指すだけのグループであった。Dフェースは他に登攀者なし。
途中で隣を見ると、Cフェースに1パーティ取り付いていた。それだけであった。もったいないものである。
Dフェースの岩場、昔の記憶はほとんどなく、ルートファインディングに気を遣う。皆さん元気で、本峰を越えて帰ったが、長い行程となり、暗闇寸前にBC経帰着した。(小田)

23日 前夜扇沢駐車場に泊まって一番のトロリーバスに乗る。上天気でダムの放水を見たりしながら乗り物を乗り継いで室堂へ。室堂は夏の観光シーズンだった。
雷鳥沢を登り剱沢のテント場には午後1時半頃には着いた。剱沢は雪が少なかった。テント村が出来ていたがまだ余裕があった。午後はゆっくり山を見ながら過ごした。
24日 テントを4時に出て剱沢を降り長次郎谷を登り八ツ峰の六峰下に8時に着く。朝日が剱の本峰を照らし雪渓が白く輝いている。Dフェースの富山大ルートを登ることにしてザイルを結び、8時半にクライミングを始めた。
小田がリードして高本、根本が続き、高本がバックロープを引いて、赤石がラストを登るスタイルで登った。
Ⅳ級からⅣ+の6ピッチのルートだった。花崗岩の硬い岩でガバホールドは効く、スタンスはしっかりしている、スメアリングはざらざらした岩肌に吸い付くようだった。残置のハーケンが多く見られたが先人たちは登山靴で登りルートを開いたことを思うと納得できる。
4時間の登攀で六峰に出た。ここからは八ツ峰の上半部を登り北方稜線に出た。途中懸垂下降を3回使った。
池ノ谷乗越で山岳警備隊員が遭難者1名を救助、他の一名の遭難死者を収容しているに現場に会った。僕たちも慎重に歩いて剱岳の本峰に4時半に着いた。
高本、根本には初めての登頂だという。30分程休んでから降り、夕闇迫る7時半にテントに戻った。長い一日だった。
25日 ゆっくりテントを畳んで下山にかかった。天気は降り坂になってきた。別山乗越から真砂岳、富士の折立、大汝山、立山と歩き一の越から室堂に降った。
根本は一の越で別れて、笠ヶ岳を目指して縦走に歩き出した。(赤石)

22日 19:30サークルKにて待ち合わせ、出発。扇沢には23時ころ着、ターミナルにて幕営。
23日 5時起床。テントを片付け、各自朝食をとり、始発のバスを待つ。
7:30始発のトロリーバスに乗り込む。黒部ダムを徒歩で移動し、ケーブル、ロープウェイ、バスを乗り継ぎ、室堂に到着。
9:30剣沢に向けて室堂を出発、気温26度、天気良し。今日は剣沢で幕営できればよい行程なのでところどころ休憩を入れながらゆっくり進む。高山植物の観察なども行い、雷鳥坂は3ピッチで登った。(小田さん曰く、通常は2ピッチ)
12:30剣御前小舎に到着、気温23度、微風、少し涼しくなってくる。
13:30剣沢キャンプ場に到着。早速幕営し、近くの剣沢小屋に缶ビールの買い出しに行く。根本さんが500㎜Lを2缶購入したので、負けじと2缶買う。その後はテント前に陣取り、冷たいビールで明日の英気を養った。
24日 2:20起床。気温12℃、風はない。朝食をとる。
4:00薄暗い中をテント場を出発し、剣沢を下る。途中からアイゼン、ハーネスを装着し、沢沿いの道から雪渓の上に出る。雪渓は例年より少ないらしい。朝日が昇りはじめ、源次郎尾根、八ツ峰がはっきりと姿を現す。
6:00長次郎谷の出合いに到着。その後長次郎谷の雪渓を登り、八ツ峰の6峰を目指す。目印は5峰、6峰の間のコル。途中のクレバスを避け、雪渓を離れ脇道を昇る個所もあった。
7:30 6峰取付付近に到着。気温8℃。取付点を探すため、シェルンドに下りる。冷蔵庫の中のようにひんやりした所だった。
8:30 クライミング開始。富山大ルートを登る。計6ピッチのコース。特に3ピッチ目のフェースはかぶってはないが、垂壁に近く、難度が高かった。5P目のリッジは高度感抜群で、剣岳の眺めもよく、気持ちよかった。
12:45 6峰頂上に出る。13:10 八ツ峰の尾根を登り始める。次の目的は剣岳登頂。のこぎりの歯のような尾根で下りは3度ほど懸垂下降を行った。
14:50 八ツ峰の頭は迂回し、下部をトラバースし、池の谷乗越に出る。乗越にて遭難者1名に出合う。既にレスキュー1名が到着しており、トランシーバで交信を行っていた。足骨折の模様。しばらくすると若いレスキュー3人が大きな袋を引きずって、我々が来た方向の逆から乗越に上がって来た。こちらは滑落死だったようだ。装備を見るとクライミングではなく、縦走登山者だったようだ。
さらに、剣岳山頂を目指して歩き続ける。クライミングシューズのまま登り続けたのでさすがに足が痛い。時間も押して来るし、剣岳への登りはガレ場続きで疲労もたまる。さきほどの遭難現場の光景が時折頭をよぎる。
16:30 剣岳山頂に到着。気温15℃。ようやく一息入れることができた。
17:00 下山開始。前剣方面に下る。カニの横ばいなど一般ルートながらも危険な個所もある。一途にテントを目指した。日も暮れかかり、疲労はますます深まる。前剣のピークを見た時、まだ登るのかと思った。途中の剣山荘にて缶ビールを購入(500㎜L1本/350㎜L1本)
19:30 剣沢キャンプ場に帰還。おそらくこれまでで一番歩いた山行だった。疲労懇倍の中、テント場で最後の煙草を吹かす。その日はビール2缶でそのまま沈没した。(次からビールは500㎜L1本でよいと思った)
25日 4:20起床、微風、気温10℃。朝食をとり、テントを片付ける。
6:45出発、風なく、気温15℃。立山連峰を縦走することになった。
7:25剣御前小舎 ⇒ 8:05別山 ⇒ 9:00真砂山 ⇒ 9:50富士折立 ⇒10:45雄山 ⇒ 11:40一の越
比較的ゆっくり登る。途中ガスが出始める。雄山まで来ると富山の中学生の大集団にであう。立山登山は地元の恒例行事のようだ。
12:00そのまま縦走を続ける根本さんを見送り、室堂に下る。
12:50室堂着。来た路線をそのまま引き返し、扇沢まで戻り、帰路についた。(高本)

剱での岩登りの後、縦走をするため荷物が約25㎏になり過去最高。初日の室堂から剱沢までの登りで精いっぱいの重さ。花の名前を教えてもらいながらゆっくりと歩く。途中、鼻が痛くなりむせ込むほど危険な濃度の硫化水素には驚いた。
24日、4時に出発し八ツ峰6峰の取り付きまで長次郎谷の雪渓を登る。梅雨明けの土曜日であり、他にも数組の登山者が雪渓を登ってきていたため、岩登りは順番待ちかと心配した。が、結果的にDフェースを登ったのは予想外にも私たちだけであり、快適に登ることができた。
3ピッチ目がややキツく、ルートファインディングもしなければいけないため、今の自分にはリードは無理だなと感じた。
6峰登頂から剱山頂までの上り下りも意外と大変で、懸垂下降あり、遭難救助の現場ありで、岩登りよりも縦走路の印象の方が強く残った。BC到着は19時半と、とても充実した一日だった。
25日はガスっており展望はいまいち。食当の荷物とカラビナ類がなくなったため(高本さんが快く(?)持ち帰ってくれた)、4㎏くらいはザックが軽くなった。
みんなに立山まで付き合ってもらい、一ノ越で別れた。(根本)



剣沢キャンプ場で

熊の岩と劔本峰

チンネ左稜線を望む

一ノ越山荘で
根本はここから笠が岳へ縦走

野呂川、大井川源流地帯遡行 (準合宿)

>8/5~8 第2次夏山準合宿 野呂川右俣遡行~池の沢 L小田、赤石、安陪、田村、根本

8/5 野呂川出合7:30~10:30両俣11:40~13:05 2095m地点
8/6 発5:40~9:15 2440mルンゼ入口~10:16 2650m水消え~12:04稜線~12:20三峰岳間ノ岳コル12:47~13:40熊の平
8/7 発5:30~新蛇抜山手前の下り口8:20~10:16東俣11:20~11:55池の沢出合12:17~15:45池の沢の池
8/8 発5:03~8:18稜線8:45~9:00広河内岳9:30~10:00大門沢下降点~13:14大門沢小屋13:35~13:50安陪さん怪我14:20~17:08登山口~17:28奈良田P

5日 両俣で昼寝。のんびりと遡行開始。天幕設営後、釣りに入るが、結構沢山の釣師が入っていて魚信なし。
6日 悪場の全く無い谷である。苔の緑が美しい。水消えからは、カールが大きく広がっていた。
7日 安陪荒倉岳や新蛇抜山の頂上へ回り道したりして、今日もゆっくり進む。
東俣へ下る道は、わずかに道型が残っていた。池の沢の池は3回目、20年ぶりである。すんだ水を満々と湛えた幽邃な池の畔にテントを張った。
8日 素晴らしくいい天気で、空気が澄み渡っている。広河内岳で、見える山を一つ一つ確認する。笹山回りの予定を変え、大門沢を下ることにする。大門沢小屋の少し下手で、安陪さんが転倒し、怪我をした。幸い、歩行は可能だったので、荷物を皆で分担して下った。(小田)

5日、両俣小屋を過ぎてから沢に降り、渡渉を繰り返しテントを張る。大好きな焚き火を囲む贅沢な時間、今夜の食当は安陪さん。
6日、三峰岳~間ノ岳往復、私の地図上でつながってなく、歩けて良かった。熊の平にテントを張る。隣にテントが張ってあり、少し気になるが小屋があるので今夜の食当の根本さんにビールの買出しを頼む(翌晩の分も)
7日 大井川東俣~池の沢の池へ
思っていたより大きな池で神秘的な池だった。池でビールを冷やし、写真撮影。そして、またまた 焚き火。今夜は最後の日なので皆でくつろいで楽しかった。池から見る星が綺麗だった。
8日、広河内岳から大門沢を降りてきた。(田村)

5日 静岡を朝3時に出て奈良田駐車場へ。5時半のバスに乗った。野呂川出会いのバス停で下車し、7時半頃林道を歩き始めた。3時間ほどで両俣小屋に着く。小屋を過ぎて野呂川右俣に入り沢靴に履き替える。
沢を右に左にと徒渉を繰り返す。2時間半ほど歩いて標高約2100mのところの砂地にテント一張りが出来そうな場所を見つけた。2時前だったがここにテントを張った。小田はイワナ釣りの道具を持ってきたので早速沢に入ったが先行した釣り師がいたためか魚影はなかったという。
枯れ木を集めてたき火をして静寂と炎と酒、食事をたっぷり楽しんだ。昨夜は例会がありこの日は早く出たのでゆっくり出来皆よく眠れた。
6日 5時半過ぎに歩き始めた。沢は次第に急になってくる。標高約2450m程のところで水流のある沢は左右に分岐している。
三峰岳に突き上げるには右俣をとる。この分岐を見逃さないことが大事だ。沢は更に急になり木々の丈は低くなる。標高2700m程の所の這松を乗り越えると広いカール状になり眼前が開け、三峰岳から間ノ岳、中白根の稜線が一望できる。
ゴーロ状を登り三峰岳の下で野呂川越からの縦走路に出る。ここにザックを置いて間ノ岳を往復した。小田は先行して熊ノ平の小屋に降りてテント場を確保した。
3時半過ぎにテントに着いた。
7日 テント場からは仙塩尾根を歩き、途中の安倍新倉岳、新蛇抜山は山頂が道から少し外れているがザックを置いてそれぞれの山頂に立ってきた。
新蛇抜山から大井川東俣への降りにかかるが、地形図にあるこの道は近年歩く登山者は少ない。地図と磁石、赤布と踏み跡を探しながら降った。2時間ほどで大井川に降りた。
降りた地点はかつて昭和30~40年代に大規模な森林伐採が行われた場所で古い伐採小屋などが朽ちていた。二軒小屋からこのあたりまで伸びていた林道は荒れ果てていて、原始に戻っていくようだった。
本流を少し降り、池の沢の出会いに着く。ここで川を遡行してきた単独行の人に会った。更に登って行くという。池の沢の小屋に立ち寄る。きれいな小屋だった。池の沢もかつては登山道があったが、今は通る人はほとんどなく跡形もないくらいに消滅している。
沢の中の倒木を越えたり、右に左に渡ったり、へつったりしながら次第に高度を上げてゆく。ようやくという感じのところで池の沢に出た。思ったよりずっと広く水をせき止めていて、周りの木々を映して静寂な池だ。池の横の砂地にテントを張った。この夜も焚き火、お酒、食事、語り合い、星空を楽しんで夜が更けるのを忘れた。
8日 沢沿いの古い道を歩いたり、藪を分けたり�倒木をくぐったりの登りだった。歩き始めて1時間程の所で先頭の小田が沢の対岸の藪の中に熊を見つけた。熊の方が少し遠ざかって動かなかったようだった。僕たちは悪場だったが急いで登った。
尾根に日が射し始めた頃から山は急になりやがて這松からゴーロ状になる。白根南嶺の尾根に出る。展望が開け富士山が大きく望め伊豆半島まで見えた。
ゆっくり休んで山々の名前を確かめた。南嶺の尾根を南下して笹山から奈良田に降りる予定だったが、広河内岳に登って大門沢を降りることにした。10時前に降り始めてバス停に5時頃着いた。この降りも変わらずに長かった。(赤石)

南の主稜の懐に飛び込んだ山行で、南の良さを再認識した。池ノ沢池で焚き火を囲んで10時頃まで話し、話はつきなかった。自分のレベルを確認させられた山行であり、どのようにレベルアップするか思案中である。(安陪)

初めての沢登り(沢歩き?)。最初は岩のヌメヌメ感が嫌だったが、だんだん慣れてくる。岩にふんわりと茂った苔がとても美しかった。
1週間前の山行の疲労が抜け切っていなかったが、ゆっくりしたペースだったので心地よく登ることができた。正確な読図ができれば自分の行けるルートが無限に広がることを実感した山行だった。(根本)

野呂川に入る、渓流シューズに

三峰岳への沢


塩見岳遠望

大井川東俣本流

池の沢

池の沢の池の静寂

広河内岳からの富士山

広河内岳で

鋸岳(2685m)

7/28~29 鋸岳(2685m)  赤石、他1

28日 戸台の駐車場を11時に歩き出した。戸台川の左岸、右岸と3回ほど徒渉して右岸の作業道、左岸の登山道をたどって角兵衛沢の出会いに着いた。
対岸の小広いところにテントを張れる場所があった。2時半からここでゆっくりした。暑い夏の日差しだった。
29日 4時半、まだ暗い内に林の中を歩き始めたが道が不明になりうろうろしてしまった。うろうろするとたちまち時間がたってしまう。かれこれ1時間も行ったり来たりした。赤布と踏み跡をみつけた。しっかりした道だ。それでも赤布と踏み跡をたどるような登りだった。
大きな木々の黒い森を抜けるとこのコースの核心部に当たるガレた沢の左岸に出た。岸壁に沿って少し登ってから大小のごろごろした石の沢をトラバースして対岸の灌木のある岩の縁を登る。
岩屑がざらざら、ごろごろと歩きにくく随分と時間がかかってしまう。ようやくという感じで角兵衛沢のコルに出た。
尾根には釜無川からの道を登ってきた人たちが7人ほどいた。狭い岩尾根を登り鋸岳山頂に11時前に着いた。雲と霧で眺望はなかった。僕たちの後から若者が2人登ってきたが途中で道を間違えたと言っていた。登ってきた道を下りテントへ2時半、撤収して戸台に5時頃に降りた。



北沢峠への道から沢に入る

タカネビランジ ↑

白山シャクナゲ ↑

ミヤマダイコンソウ ↑

シモツケソウ ↑

鋸岳山頂

三重県の山 尼ガ岳(958m) 桧塚奥峰(1402m)

平成28年7月18日、19日  メンバー 赤石 他1名

18日 尼ガ岳登山
12時前に伊賀市上高尾の登山口駐車場に着いた。登山路を少し外して踏み跡をたどるとやがて植林の中で不明となった。
おおよその見当で登っていくと藪をこいだりして尾根に出た。かすかな踏み跡の尾根の上に尾高山、961mと書かれた標識があった。
尼ガ岳から北西に延びている尾根の上のピークで尼ガ岳からは1600mほどの距離のところのピークだった。
かすかな踏み跡と赤いテープを頼りに尾根伝いに歩いて登山道に出た。
尼ガ岳の最後の登りはとても急で木や偽木の階段が延々と続いていた。一回り2時間半ほどの行程のようだったが、4時間ほどかかってしまった。
今回も巨大迷路を歩いたような山登りだった。

19日 桧塚奥峰登山
三重県の山だが奈良県側からのコースの方がおもしろいようなのでそちらの登山口へ行く。奈良県東吉野村大又の林道終点から7時半頃歩き始めた。
沢筋の急な登山路を登ると明神平という開けた広場に出る。ここは三方を山に囲まれている。ここから東へほぼ1400m位の山々を結んでいるブナが多い自然林の尾根を歩き桧塚奥峰に登りさらに東の桧塚まで行ってきた。
山頂は三重県の最高峰だという。桧塚に三角点があるが地形図の山名はない。
奥峰の方が20mほど高いので高い方の桧塚奥峯に山名板がある。引き返して明神平に戻り、北の方の国見山に登り往復した。
この日いくつかの山頂を巡ったがこの国見山が唯一地形図に山名がある山だった。
約8時間の行程だった。

尼ガ岳山頂

桧塚奥峯の山頂

桧塚高峯への道 ブナ林を歩く

錫杖岳 左方カンテ

平成28年7月16日 錫杖岳 左方カンテ  熊谷、高本

15日 道の駅とみさわ 22:00~
16日 4:50駐車場出発~7:00取り付き到着~7:30登攀開始~14:00山頂到着~16:20取り付き戻り 下山~18:30駐車場

以前より行ってみたかった錫杖岳、左方カンテにトライ。
前日の雨の影響もあり、岩全体が濡れていたがオールフリーで上部まで抜けることができました。
濡れている本チャンの岩場は初めてだったが、無理なく、保持できるホールドのみを使って登れることを再度確認できた登攀でした。
前日より雨が降り、当日朝も地面が濡れた状態であった。岩場へ向かう途中に渡渉があり、増水のため靴を脱いで渡渉。水が非常に冷たかった。
岩場へ到着するも、全体的に岩が濡れている。あちこちから染み出しや水滴が垂れており、滝のようになっているところもあった。我々より先行したパーティがいたが、岩の状態をみて引き返していった。岩はずぶぬれだが、2ピッチまで登って状態が悪いようなら引き返そうということになり岩へトライ。
1~2ピッチはルンゼ状で当然ながら水が滴る。確実に保持できる場所を選び上へ登っていく。
2ピッチ目を抜けたテラスは乾き始めており、これはいけるのではということで上を目指す。
3ピッチ目のフェイスクラックに水が流れており、こちらも確実に上る。上部のスタンスは乾いていた。
4~5ピッチで再びルンゼ状の岩へ。内部は乾きが悪く、カムの効き具合を確かめながら慎重に進む。
6ピッチ。当ルートの核心部。取り付き上部のクラックに手こずりA0で抜ける。上部のスラブも寝ているが十分なアンカーが取れず怖い。
7ピッチ。1本だけアンカーが打たれている左側のスラブから登り始める。10メートル程度のスラブが悪い。濡れているのもさることながら、ホールドが全体的に浮いている。たたくとポコポコ音がするホールドは、剥がれないようにと願いながら登っていく。上部は簡単。
8ピッチ。簡単な岩を登って草付の台地へと出る。
我々を追いかけてきたパーティーに記念撮影を依頼して下降。東京から来たという彼らは、「登るかどうか迷ったが、我々のパーティーがどんどん登っていくので辞めるわけにはいかなかった」と話してくれた。
下山時も靴を脱いで再び渡渉。冷たすぎて足の指がつった。
下山後、駐車場で東京から来た彼らと連絡先を交換して帰路についた。(熊谷)

前日夜に静岡を発ち、新穂高の駐車場には16日未明、午前2時に到着。
車中にて仮眠をとり、4:20起床、5:00スタート。
天気は曇り、昨夜の雨は上がったが湿度が高く、アプローチの登山道はじゅるい。途中の渡渉点では水かさが増していて、登山靴を脱ぎ、裸足で渡る。笠ヶ岳への登山道を進むと途中から前方に錫杖の前衛フェイスが現れる。下部はガスがかかり、突き上げるように聳える岩の壁は少々神秘的でもあった。
登山道を左に折れ下ると錫杖沢出合、そこは前衛フェイスの下。ここからは錫杖沢を遡る。沢とブッシュを交互に登りながら、アプローチを続ける。
7:20に左方カンテの取付点に到着。岩は濡れ、水も染み出していた。天候はまだ曇りのまま、晴れ間も覗かない。風もなく、時々ガスが発生し、岩が乾く見込みもなさそうであった。
先に到着していたパーティーは登頂を残念し、折り返した。熊谷君と協議。結局、1ピッチだけ登り、様子を見ることになった。準備をしていると後続のパーティーが2組ほど到着。一緒に登る仲間が出来、心強かった。
8:00登頂開始。リードは熊谷君にお願いする。その後ほとんど全コースを熊谷君のリードで登る。
1Pと2Pはルンゼを左上する。1Pの取付はチムニー、岩から水が染み出ており、滑りやすい。チムニーを越えると後は手掛かりは豊富で登りやすかった。
2P終了点でピナクルに出る。ここで本来なら高度感ある風景が楽しめるはずだか、あいにくガスがかかり、視界不良のまま。
なんとか2Pまで登り、後続のパーティーも登ってきているのでこのままクライミングを続けることにする。
3Pは傾斜の強いフェイス、支点はなく、ここも濡れている。手掛かりを探しながら、慎重に登りを進めていく。
4Pはバンドから始まる。水平移動し、またしてもチムニー。1P取付のチムニーより大きい。残置のスリングを利用しながら、濡れたチムニーの中をよじ登った。
5Pは壁を左に少しトラバースして、フェイスを直登する。濡れていなければまだ楽に登れるだろうが、やはりこわい。その後登り進めていくと大きなテラスに出た。
6Pはこのルートの核心。まずは最初の岩を乗り越えるのに一苦労。その後はチムニー、クラック、カンテを越えてスラブと変化に富んだコース、登り切った後は充実感を感じた。ようやくガスも少し晴れ、岩も少し乾いてきた。山の麓は視界が晴れ、ガスを被った焼岳も見えた。
7Pはスラブ。フレーク状の岩肌はもろく、一手一手確かめながら登る。
8Pは草付のルート、一応ロープを張るが歩いても登れるコース。終了点に到着する。8P終了点で後続のパーティーと合流。途中何度も追いつかれては、先に行きを繰り返してきた。そのうち仲良くなり、一緒に懸垂下降して降りることになった。
懸垂下降は7P終了点から。7P目、6P目を下降し、5P終了点のテラスまで下り、そこから登りのコースから外れ、「注文多い料理店」のコースを一気に2ピッチで降り、1P取付きに戻る。
左方カンテは入門コースとされているが、カンテあり、チムニーあり、クラックあり、スラブありと非常にバリエーションが豊かなルートだった。また残置支点が少なく、ナチュラルプロテクションを多用しながらの登攀だった。これまでカムを使用した経験はほとんどなかったのでいい勉強にもなった。リードは熊谷君にお願いしたが、本番の岩場を始めて登り切ることができた。(高本)

錫杖沢出会い
壁は雲の中に隠れている。

登攀準備中

核心の6P取りつき

前衛壁の頭

奥にうっすら槍ヶ岳が見える。

網掛山(1133m)

平成28年6月12日 メンバー 赤石 他1名

岐阜県下伊那郡阿賀村にある山。恵那山の東、昼神温泉の近くにある。
古代の東山道が通っていた網掛峠から登る。大和朝廷によって701年に作られたというこの古道は防人たちも歩いたという道だが、やがて東海道にとって変わられたという。
低い山だがハイキングの道が整備されている。峠の途中までは林道になっていて、山道に入るとやや急になり峠から右へ山頂への道になる。
山頂には「ヲシテ」という古代の文字が記されていた。
縄文時代から漢字が伝わるまで使われていたという「ヲシテ」文字のことを初めて知った。
下りは東への道をたどった。展望所があり眼下に昼神温泉の街が望めた。急な下りを降りると「頭権現」大平神社の登山口に出た。
一回り約3時間のハイキングだった。

網掛山 三等三角点の山頂

「ヲシテ」文字の説明板

伊豆山稜線歩道

猫越岳(ねっこだけ)・1035m、三蓋山(みかさやま)・1013m
2016/04/19 赤石 他1

西伊豆スカイラインの仁科峠に駐車して歩き出し、途中の後藤山、猫越山を越えて三蓋山を目指す。
スタート地点の仁科峠から南へ三蓋山を越えて二本杉峠、天城峠までを伊豆山稜線歩道と呼んでいるようだ。
標高1000m程の山稜歩きで小高いところは巻き道になっていて、ほぼ水平で歩きやすい登山道が整備されている。
葉を落とした大きなブナの林があり芽吹きが始まっていた。伊豆の山々の特徴のようなアセビが多く白い花の房を着けている。花の小さなマメ桜が咲いていた(図鑑では別名フジザクラとある)。
地元ではマメ桜とも言うと教えてもらった。これらブナ、アセビ、マメ桜、ヒメシャラなどの自然林と所々に植林地があるゆったりした尾根道を往復してきた。曇りがちの天気だった。
行きに3人出会い、僕たちと同じ方向に1人が歩いた。彼は天城峠まで行くと行っていた。
往復約6時間半の行程だった。

スタート、ゴール地点の西伊豆スカイラインの仁科峠

猫越岳の山頂

ブナ林が続き巨木が多くありました

アセビが多く花の盛りでした