静岡山岳会
Shizuoka Alpine Club

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山岳会概要

赤禿山(1158m)スキー登山

平成28年2月22日 メンバー L小田、赤石、安陪、小野田、田村、他1名(田村友人)




太刀岡山 左岸稜登攀

平成27年9月28日 小田、立浪、赤石

駐車場9:20~9:45取り付き10:00~16:00鋏の広場16:20~16:45駐車場

30年以上前に登ったルートである。ほとんど覚えていないが、ときどき記憶の中の一画面が目の前に現れる。
昔は何の苦労をした覚えもないが、結構厳しく感じるのはやはり年のせいだろう。それでも、こうした長いルートを辿るのは楽しい。計8ピッチで鋏岩の下に着く。(小田)

取り付き点を探して登り始めたのが10時頃だった。スラブ、レイバック、チムニー、カンテなど次々にクリアして8ピッチ登って2時にハサミ岩の基部の終了点に登りついた。
立浪がすべてリードした。フォロワーも一人ずつ登ったので自分のクライミングが出来て楽しかった。今年は滝谷、小川山、今回とマルチピッチのクライミングが出来た。(赤石)

1ピッチ目、左の細いクラックから、上部のハンドクラック。ハンドクラックは幅が広く、合うカムは1つしか無かった。
なるべく上部にセットしないとと登り、途中からレイバックにしたら、プロテクションが取れない姿勢に気いてクライムダウン。
テラスまで1.5か2 メートルというところまで降りたら、レイバックの足がスリップしてテラスに墜ちてしまった。
高校生から約10年間クライミングをしていて何百というルートを登ったが、エイドクライミングでアブミに乗って3回墜ちたことはあったが、フリーのリードで墜ちたのは人生初めての出来事。
太ももの裏を強打して痛かったが、打撲だと思う程度。仕方なく右の人口ルートを登り、上のバンドでビレー。
しばらくして、左足の甲のあたりがバンバンに腫れてきた。ぶつけた記憶が無いので、太ももを打った影響かなと思いながらも、そのままリード。
ここはカムのサイズが大きいものが必要なことが多いルート。
実は、カムを使うのは初めての経験。30年前、こんな高級な道具でクラックを登ることはしていなかった。
持っていった一番おおきなサイズでも合わなかったりと、苦労した。終了点もカムというところもあり、クラックは別物で練習が必要だと感じた。
最後のピッチは時間の関係でやめて全7ピッチをリードさせてもらった。途中から、足の痛みがひどくなり、クラックに足をねじって入れるのは困難になっていき、苦しい登りもあった。
痛みで遅れながら登山道を下山。翌日、レントゲンを撮ったら、小指の甲の骨を骨折していた。ある場所に行ってから7年連続でギプスをするケガが続いている。何度もお祓いしているが、早く悪霊には出て行ってもらいたい。(立浪)

7ピッチ目を登る小田

アサヨ峰(2799m) 栗沢山(2714m)

平成27年10月3~4日 アサヨ峰 栗沢山 赤石 他2


アサヨ峰山頂 10月4日

アサヨ峰から仙丈ケ岳

栗沢山 後ろは甲斐駒ガ岳

毛勝山(けかつやま) 2415m

09/22 毛勝山 赤石、他1

21日 東海北陸自動車道経由で魚津インターから片貝山荘奥の林道のゲート前に泊まった。
22日 まだうす暗い5時に歩き出した。
登山口から山頂までの標高差は約1700mある。登山道は2001年頃にボランティアで切り開いたという。
樹林帯の中の急登からはじまり、やがて灌木に覆われた狭い尾根の上に続いている。悪路、難路、急登という感じの登山道だった。2000mぐらいから湿原地帯になり展望が開けた。
山頂への最後の登りは崩れた花崗岩のごろごろした急な直登の道で息が切れた。山頂からは後立山連峰が大観出来た。
目の前の釜谷山、猫又山、その向こうの剱岳は雲に隠れていたが時折雲の切れ間に黒く鋭い姿を現した。
山頂で展望を楽しんでから同じ道を下った。駐車場には5時に着いた。登り7時間、下りが5時間、歩いたのは10時間程だった。この日の登山者は6人だった。

毛勝山へ

釜谷山 猫又山

後立山連峰遠望

天然の杉が群生していた

大井川源流 東又~雪投沢~蝙蝠尾根

9/19~9/21根田、小田、鈴木ヨ

9/19(土) 岡部(小田宅集合)5:00~井川・畑薙~二軒小屋9:00~西又・東又分岐9:15~広河原の中16:17 幕
9/20(日) 広河原の中7:00~7:40雪投沢出合~12:20稜線~13:20蝙蝠岳~蝙蝠岳15:53~同岳下16:11幕
9/21(月) 幕場6:15~7:51徳右衛門岳~11:40二軒小屋~帰静

9/19天候はれ。
昨年夏以来の南アルプスです。今回同行してくれる鈴木ヨさんと小田さん宅で合流、畑薙の沼平には7:00前に着きゲートが開くころ車で二軒小屋まで、途中私は赤石ダムからみる赤石岳を始めて見るため、小田さんより説明をうける。あの有名なニエ棚もなくなっとか残念でした。
二軒小屋の先に車を止め、東又に入渓。
私の今回の山行は読図もテーマとしており、地図、タブレットGPSで確認するが、小田さんの方は、地図と山並みより現在地を割り出しており恐れ入りました。なんとなくはずかしい思いでした。
水量も先週からの雨で多く、渡渉もしんどいと思いましたが扇沢出合いから左岸をへつるため渓流シューズ、私は地下足袋にはきかえました。
いくつかの壊れ橋をわたり、左岸の壊れた林道つたいに足をすすめると、やっと東海ホレスト会所跡地(荒廃)、時間も時間だけに広河原にテントを張って幕、小田さんが岩魚を一匹つてもらい。その夜は贅沢な食事と焚き火を楽しみました。

9/20天候はのちくもり。
ゆっくりとした朝食をとり広河原の中を歩き、右岸側を歩くと、木に2本の赤デープが巻いており、雪投沢の出合と判断、この沢は下山時にも使いっている記録もあり、簡単な沢だど思っていましたが、右岸側の苔むした岩をへつる時、足元がぐずれ、右足だけが木にひっかかり、仰向けで倒れてしまい。右足の脛をひねっただけてけがはありませんでした。
私の気の緩みがあったと思い。わらじを着装。高度をあげるにつれて背後の白根南嶺の山並みが美しく見渡すこでき気分も上々。
途中本流をつめるのではなく、二俣でテント跡地を見て右俣のタテカンバ中をつめて、北荒川岳の稜線上へ、ナナカマドは色ずいておりもう秋です。
蝙蝠岳の分岐で一本を立て,、、時間の関係で塩見岳へはあきらめ、途中ブロッケン現象をみて、夕焼けの白根南嶺をみながら、蝙蝠岳下の平坦なガラ場で幕。

9/21天候は晴れのち曇り。
私の右足の調子が今一なので、私のペースで徳右衛門岳をこし、水場を調査して、シラビソと苔むした倒木、木漏れ日を楽しみながら、二軒小屋まで下山。
(根田感想)

ひょんなことから小田さんの車が二軒小屋まで入れる。
鈴木ヨさんも参加できるということで、沢、稜線の南アルプスの山旅を楽しむことができました。私のちょっとした判断ミスが事故につながると反省をしております。
また、わたしの羅針盤は左に90度すれておりどうしたものか思案中。とにかくおいしい山行でした。

左岸林道跡

出合いを過ぎてからのへつり

唐臼沢出合い

広河原の幕と岩魚と私の足


雪投げ沢上部二俣のキャンプ跡

ナナカマド?

蝙蝠岳手前稜線上の休憩

徳右衛門岳下の水場の入り口

黒部源流~薬師岳~雲ノ平(黒部夏山準合宿)

8月8日~11日 小田、安陪、鈴木、田村、掛川、小野田

8/8 折立7:47~12:00太郎平~12:20薬師峠(BC)13:17~15:30薬師岳16:00~17:13薬師峠
8/9 発6:20~9:07薬師沢小屋9:40~11:50赤木沢出合12:10~14:00五郎沢出合
8/10 発5:25~9:30祖父沢水消え~9:45雲の平テント場10:45~11:10小屋下~13:20高天原小屋~13:40温泉14:20~14:35小屋14:56~17:40雲の平BC
8/11 発5:30~8:40薬師沢小屋9:05~11:45太郎平12:05~15:00折立

(報告 小田)
1日目、すごい人出である。花は既に盛りを過ぎたようだが、いろいろと美しい。
ニッコウキスゲが華やかである。名前を確認しながら登る。峠のテン場は、隠れたところに絶好の場所を見つけた。
2日目、赤木沢出合は何度きてもいいところ。女性陣は胸下くらいの徒渉となる。五郎沢出合で十数年前に使った幕場は健在で、大テントが張れた。
イワナ4匹つり上げる。但し、1匹は取り込み損ねた。
3日目、長い1日となった。温泉は白濁した硫黄泉。
快適であった。テント場のトイレは相変わらず不快。
4日間、最も親しんだのは薬師、黒部五郎、水晶の山々である。角度によって少しずつ趣を変える、それらの峰峰の展望を楽しみながら下った。
(報告 田村)
★8日、懐かしい折立から薬師峠へ(幕)薬師岳ピストン。
9日、黒部源流遡行、ものすごく綺麗な水で感激!小田さんが岩魚をつり焚き火で塩焼きにして食べた。
10日、五郎沢幕地から雲ノ平(幕)高天原温泉ピストン。高天原へ行くのを楽しみにしていたので入浴でき良かった。
写真を見ると皆、笑顔!笑顔!
11日、雲ノ平から薬師沢、折立へと下る。重いザックを背負い頑張り、楽しい山行だった。
(報告 小野田)
ずっとお天気に恵まれ、最高だった。改めて雲ノ平は美しいなと思った。
まだ花も沢山残っていた。もっとゆっくりしたかった。
沢も怖い所は無く、たまに深く入っても寒くはならず快適だった。沢のテント場は特に良い場所ですぐ近くに泳げる美しい淵があり、河原で焚火をし、小田さんが釣った岩魚を焼き皆で分け合った。
高天原の川の中に湧き出る温泉も素敵だった。体力が無く、きつかったのが残念。
(報告 掛川)
★全日ほぼ晴天に恵まれ、縦走、沢遊び、焚火、温泉と盛りだくさんで中身の濃い山行だった。
唯一の汚点は、雲の平のトイレ設備の悪さが際立っていた。テン場代1000円であれはないだろう。
(報告 安陪)
★山中に4日いたとは思えないほど、濃縮した充実した温泉あり、沢あり、縦走ありの山行であった。
企画していただいた小田さんをはじめ、メンバー全員に感謝します。

穂高岳、滝谷、クラック尾根、ドーム中央稜、登攀

平成27年08月01日~04日 小田、立浪、赤石




焼山(2400m)、青田南葉山(949m)

7/19~7/22 赤石秀之、他2名

19日 糸魚川市の笹倉温泉奥から林道を第二ゲートまで車で行けた。
休日は第二ゲートまで開放している。第二ゲートから登山口までは舗装した林道を約1時間半歩いた。
焼山は火山で昭和49年7月の水蒸気噴火から平成18年12月年まで登山が禁止されていた。
登山口にはコンクリートのシェルターがある。夕立が来そうなのでシェルターの中にテントを張った。

20日 暗い内にヘッドランプを付けて歩き始めた。緩い登りはじめからやがて急登になる。
途中沢を横切るのだが固定ロープをつかんで火山灰の混じった斜面を降りて雪渓を渡り対岸の斜面をやはり固定ロープをつかんで登る。
大谷、地獄谷という大きな沢と三っつ程の雪渓の沢を越えた。やがて火山礫や火山灰が滞積した急登のあと稜線出て稜線歩きして山頂に着いた。
小さな山名板だけの寂しい山頂だった。三角点は少し放れていた。
東に火打岳、西に金山、北に昼闇山、鉾ガ岳などが望めたが曇天と霧のため視界はよくなかった。
下山してテント撤収、第二ゲートの駐車場までこの日は約11時間半かかった。この山には小田さんが今年の冬にスキーで登山した。

20日 前夜、道の駅「うみてらす名立」に泊まり、上越市の青田南葉山に登った。
キャンプ場からぐるっと一回りするコースを登った。
背の低い広葉樹の樹林帯で所々にブナ林がある。1000mに満たない低い円い感じの山だがなかなかの急登だった。
展望は木々に阻まれてなかった。風も通り抜けなくて猛烈な暑さだった。5時間弱。

7/20 焼山 大曲から

7/20 焼山 山頂

焼山火口は雪田になっていた

7/21 南葉山の山頂に社があった

白根三山縦走

6/19~6/22 小田、田村、小野田

6/19 7:20 静岡===10:00 奈良田ゲイト10:45-----14:45アルキ沢橋
6/20 アルキ沢橋登山口5:45---池山吊尾根---9:40池山御池小屋---11:40城峰---15:40八本歯の頭直下
6/21 テント場5:55---トラバース道---分岐7:05--お花畑---7:55稜線---8:20北岳山荘---10:23間の岳---
      11:22三国平---12:55西農鳥岳---13:45農鳥岳14:00---17:55大門沢小屋(無人小屋泊)
6/22 小屋6:00---8:20小古森沢出合8:40---9:08林道登山口9:20---10:05奈良田ゲイト---10:28♨駐車場

北岳草が咲いていて、人が少ない内にという事で、バスが開通する前に行った。
第一発電所近くのトンネル前の3mの柵も閉まっていたので、乗り越えて林道に。
アルキ沢橋まで4時間の林道歩きはきつかった。
御天気は安定せず、雨が降ったり止んだり。だがそれ程強い雨ではなかったし、湿度も低く気温も適度で気持ち良かった。
農鳥に着いた時には雨が止み念願の山の景色が見られて満足。田村さんも私も農鳥岳は今回が初めてだった。
八本歯のコルを過ぎてから数か所小さな雪渓が残っていたが雪が柔らかなのでアイゼン無しで通過できた。
たっぷり時間を取って頂いたので、花盛りの山をゆっくり楽しむ事ができた。
北岳草、イワカガミ、ハクサンイチゲ、北岳キンポウゲ、ベンケイソウ、黄花石楠花、オヤマノエンドウ、ギンリョウソウ、アオノツガザクラ、ミネズオウ、キバナノコマノツメ、オダマキ、etc.。
ミドリハクサンイチゲ、イチヨウランを私は初めて見た。帰りの林道にも珍しい花々が咲いていた。
非常に疲れて大変な時も、雨の時でもほぼ絶え間なく何かの花が咲いていて目を楽しませてくれたので気分が大分助けられた。
花だけでなく、まだ明るい緑の森も美しく、丁度良い時期に歩けて本当に良かった。




北関東の山

5/3~6 赤石秀之、他1

5/3
高速道は渋滞で鳩待峠に着いたのは午後2時を過ぎていた。
天気はよく尾瀬の山々を見ながらと雪の平原を歩いた。
この日は龍宮小屋に泊まった。

5/4
景鶴山(2004m)へ。
踏み板を外してあるヨッピ橋を渡って、ケイズル沢を歩き正面からのルートをとり黒い岩峰の山頂を目指した。
沢筋から大きなダケカンバの生えている尾根に登り、やがて狭い岩の尾根を笹や灌木につかまりよじ登って山頂へ出た。
山頂は狭く3‾4人が立てる程の岩と灌木の山頂だった。
小さな山名板が木に下がっていた。
近くの燧岳、至仏山、遠くに平ヶ岳などが望めた。
この山は雪がないと登れないのでこの時期大賑わいで前日は60人以上の登山者が登ったという。
下山して鳩待峠へ歩いた。約10時間の行程だった。

5/5
移動日。南会津町栗生沢集落の奥、釜沢橋の林道の通行禁止地点まで行きここに泊まった。

5/6
男鹿山(1777m)、この山は福島県側からは「おがだけ」、栃木県側からは「おじかだけ」と呼称されている。
5時過ぎに歩き始めた。荒れた林道は登山道に戻ったようになっている。
歩きやすい道だった。約3時間歩いて大川峠に出た。
この峠が福島県と栃木県を分けている。
ここに「本州大幹縦走 島田市 大島」と書かれた標識が枝に下がっていた。
本州の分水嶺を何年もかけて歩いているあの大島さんが歩いた跡だと思った。
山道に入るがあまり歩かれていないようで踏み跡が笹や灌木の中に消えている。
古い赤布と地図を頼りの山だ。
やがて残雪が笹を覆って来る。残雪を拾いながらたかくへ高くへと登る。
栗石山を過ぎると雪が多くなり歩きやすくなる。
山頂は広く展望が開ける。
遠くに真っ白い飯豊連峰や雪の残っている那須の連山、近くには大佐飛山が見えた。
展望を楽しんだあと下山にかかった。下りで三重県から来たという夫妻に会った。登ってきた踏み跡をたどって降りたのだが栗石山付近で踏み跡を見失った。
僕は地図上の栗石山の地点を勘違いしていたことからルートを外してしまった。
しばらく支尾根の横の雪を下ってから間違いに気が付いて登り返した。
1時間半程ロスしてしまった。
赤布の地点まで戻って来たら先ほどの二人に会った。ここで確認してから踏み跡や赤布を探してようやく大川峠へ降りた。
峠からまた長い林道の下りを釜沢橋の駐車場に降りた。
完全な道迷いの典型で反省が残る山行になってしまった。
この山も雪の残っているこの時期にしか登るのは難しいかも知れない。ロスタイムを入れて12時間半ほどの行程だった。

景鶴山

景鶴山の狭い山頂  背後は平ヶ岳方面

大島さんの標識

男鹿岳 山頂
福島県からは「おがだけ」、栃木県からは「おじかだけ」と呼称

京都の山々

4/28~29 赤石秀之、他1

4/28
京都大原の山、金比羅山(573m)
この山はかつて京都での国体の折にクライミイグのエリアとしても使われた。
山の東面には岩場がある。
大原地区の氏神様、江文神社から登る。
岩場を覗いてきてからハイキング道を登った。人気のコースのようで途中の社に毎日花をあげに登ってくるという91歳のおばあさんと娘さんに会った。
山頂からは大原の里が見下ろせた。
下りは寂光院へ下り「大原女」の道を三千院まで歩いた。5時間半程の行程だった。

4/29
宮津の智恩寺から天橋立を歩いて北側から天橋立を見下ろす位置にある鼓ガ岳(569m)に登った。
ずっと舗装道路で途中に成相寺(なりあいじ)という大きな寺がある。さらに舗装道路歩き。
パノラマ展望台から俯瞰する天の橋立は圧巻だった。
ここから荒れた狭い林道を登り切ると電波塔の山頂があり、さらにその奥に鼓ガ岳の山頂三角点があった。
あまり人気の無いような静かな山頂だった。6時間強の行程で1時過ぎに下山した。
時間が早かったので、車で1時間程のところにある大江山(仙丈ケ岳 833m)に登った。
酒呑童子や鬼退治の昔話の山だ。
鬼嶽稲荷神社から往復した。
こちらは人気の山のようだがもうみんな下山した後のようだった。往復1時間強だった。

京都 金毘羅山のロッククライミングエリア

金毘羅山 山頂

下山すると寂光院

笠松公園から天橋立を俯瞰

鼓ガ岳 山頂

大江山(仙丈ケ嶽)の三角点

剱岳一周三の窓越えスキー登山

4/22~24  小田直美、立浪基博

4/22 室堂~別山乗越~剱沢二股
4/23 二股~三の窓~池ノ谷左俣~小窓乗越~白萩川
4/24 白萩川~馬場島~伊折
(報告 小田) ★剱一周シリーズの2回目である。剱沢を快適に滑って三の窓へ登る。
池ノ谷は急で狭く、威圧感のある谷だ。
しばらく横滑りで様子を見てから、思い切って回転する。
あとは気持ちよく、1500mまで滑り下る。
残雪が少なく、池ノ谷ゴルジュが心配なので小窓尾根を越すことにする。
これが結構大変で、時間がかかり、白萩川へ下ったところで暗くなる。
予備日を使うことになってしまった。
道路はまだ開通せず、伊折までの8kmを、兼用靴で歩いて下った。

(報告 立浪) 剱岳の山スキーの話しを小田さんから聞き、漠然と昔登った時の感覚でいたら、滑るルートの難しさが尋常ではないと知ったが、後の祭り。
転んだ「死」という池ノ谷が待っていた。
足の手術から1ヶ月ちょっと、新調したスキー靴は幅出しして調整したが、足首の激痛は耐えがたいものだった。
まるで焼きごてを当てられるようで、手術を終えた夜のようだった。
何とか別山乗越を超えて剣沢を滑ったが3回も転び、翌日の不安が高まった。
翌朝、スキー登行は快適だったが、ターンで何度も転び、スキーを外した。
落ちた体力で、小田さんともずいぶんと離れてやっとのことで三ノ窓を上がった。
池ノ谷の上から見た雪渓は、とてもスキーを楽しむとかいうものでは無く、転ばないように気が抜けない横滑りで始まった。
だいぶ下ってからやっとターンできる余裕ができるほど。
池ノ谷ゴルジュの雪の状態がからないので、高巻いた後の下りは急だった。
腐った雪でずっと後ろ向きに下山。
昨年の滑落事故が頭をよぎり、慎重にステップを切っていたのでかなり遅れてしまった。
それでも空洞になっていた雪を崩して危ない場面も。
私が登りも下りも遅かったので、最後に2回懸垂下降したら、日没になってしまい予備日を使うことに。
林道歩きは長く激痛だったが、バリエーション山スキーの充実感に満たされた。

別山乗越を越えて剱沢へ滑り込む。室堂側の喧噪に比べ、こちらへ来る人はごくわずかだ。

明ければ快晴。三の窓が早くも朝日に輝きだした。標高差1000mの登りである。

ようやく三の窓到着。しばし休憩して、池の谷の下りへ向けて、鋭気を養う。

横滑りで少し下ると下が見え始めた。1000m下まで一直線である。

二股を過ぎると傾斜も落ち、緊張感から解放された。

3日目、白萩川を下り、取り入れ口の堰堤を右岸から越す。徒渉はせずにすんだ。このあたりの残雪はいつもよりずっと多い。